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執筆者の写真ス・モンク カフェ

Chet Baker:闇に魅入られたジャズの堕天使“Chet Baker in Tokyo”


 トランペッターのchet Bakerがアムステルダムにあるホテル・プリンス・ヘンドリックの部屋から転落死して、きょうで34年になります。


Chet Bakerは、1929年12月23日にオクラホマ州ヤールで生まれ、音楽好きな両親の影響を受けて、13歳でトランペットを始めました。後に彼は軍に入隊し、1950年にサンフランシスコのビバップのジャムセッションでプレイし始め、1952年にロサンゼルスに移り、Charlie Parkerと共演しました。その後、Gerry Mulliganと組んで、Mulliganの有名なピアノレスのカルテットに加入しました。


 彼はMulliganのカルテットで一躍有名になり、1953年には独自のカルテットを結成し、パシフィックジャズというレーベルで、リーダーとしての初録音を行いました。Chetは、その映画スターのようなルックスとMiles Davisのような音楽スタイルで多くのファンを獲得し、ダウン・ビート誌で男性ヴォーカリスト部門で第4位にランクされ、1953年にはメトロノーム誌でトップトランペッターに選ばれました。


 そんな若くして頂点を極めたChet Bakerでしたが、50年代後半にはヘロイン中毒が彼の音楽キャリアに影響を与え始めます。60年代初頭には何度も逮捕され、イタリアでは投獄をされたり国外追放の憂き目にもあいました。1966年には、薬物取引業者からの激しい暴行で歯を折り、トランペットを演奏することさえできなくなりました。


 しかし、1970年代にDizzy Gillespeの助けを借りて演奏活動を再開し、それらのレコードは多くの批評家によってChetの音楽キャリアの中でも最高の録音の一部と見なされました。彼は1978年から死去する1988年までほとんどの時間をヨーロッパで過ごし、その後もアメリカに一年に数回戻って演奏を続けました。


 1988年5月13日の金曜日、アムステルダムのホテル・プリンス・ヘンドリックの外でChetの無残な遺体が発見されました。彼は窓から転落しており、部屋と彼の体内からコカインとヘロインが見つかったそうです。その死因は事故とされ、ホテルの外には彼を記念するプラークが設置されました。しかし、彼の故郷であるアメリカでは、彼の死を悼む声はあまり高まらず、葬儀の日時が「ロサンゼルス・タイムズ」紙や「ハリウッド・レポーター」で告知されたにも関わらず、実際にChet Bakerの葬儀に集まったのはわずか35人でした。

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