1953年のきょうは、4月20日はMiles Davisがブルーノートに残したアルバム“Miles Davis vol.2”の収録が行われた日です。といっても、このアルバムはお馴染みの12インチLPではなく、10インチ盤です。
この収録が行われたころのMilesは、重度の麻薬中毒に陥っていました。彼は1950年頃から麻薬に手を染め始め、薬に支配されて仕事の量は激減し、楽器も質に入れてしまい自身のレギュラーバンドさえ持てない状態でしたが、そんなMilesに救いの手を差し伸べたのが、ブルーノートレーベルの創設者であるアルフレッド・ライオンでした。当時のMilesは、その輝かしいキャリアのほんの最初の頃であり、しかもドラッグ中毒に苦しんでいる状況でしたが、そんな彼に何か光るものを感じたのか、ライオンはMilesに毎年一度ずつセッションを行いレコードを発売していくことを提案します。そこで彼は52年から54年の間にブルーノートにて3度のセッションを行い、その録音は“Young Man With A Horn”、“Miles Davis Vol. 2”、“Miles Davis Vol. 3”という3枚の10インチレコードに収められました。
ジャズ評論家のレナード・フェザーは、当時のMilesについて、「ブルーノートに残されたMilesのセッションのうち、1952と53年のものはどことなく指の動きが遅かったり構成にまとまりがないように感じられた」と語っているほど、当時の彼はひどい状況でした。しかしMilesは1953年に父の農場で、自己隔離を通じて麻薬依存症との闘いを始めました。その闘いは相当苦しい体験だったようで、「もし誰かが二秒で死なせてくれると言えば、そっちを選んだだろう」と語るほどでした。
1952年の段階では万全とは言いがたい状態であったMilesも、3度のセッションを重ねるにつれ、その演奏は音楽的にも進化を遂げ、麻薬地獄から脱した54年のセッションでは、ビバップを越えて独自のヴィジョンとスタイルを作り上げており、これぞまさに「ハードバップの目覚め」とでも言うべき記録です。これら3枚の10インチ盤は、後にブルーノートが12インチ盤をへの移行を果たしたときに、Miles Davis Vol.1 ,2 として2枚に編集され、ジャズ史に燦然と輝く「栄光の」1500番台のトップに据えてリリースされています。
ちなみに、この日の収録は、
“Kelo”、“Enigma”、“Ray's Idea”、“Tempus Fugit”、“C.T.A.”、“I Waited For You”の6曲です。
彼の音楽がどのように変化し、彼の独自のスタイルがどのように形成されたかを感じるために、“Miles Davis vol.2”の音源をぜひお聴きください。
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